バタイユは生涯を通して図書館司書であり続け、しかも太陽を直視し続けた。太陽はバタイユにとって女性の性器の象徴であり、エロティックな存在であった。
「昼間は公務員で、夜は乱行パーティーの主催者」というレッテルの貼られいた彼は、生前にはあまり評価されなかった人物である。1962年にバタイユは他界した。死因はニーチェと同じく梅毒という噂もあったが、定かではない。
バタイユの「知」は「体験」である。それ故に、彼にとっては神秘的な体験から得られたものも知識となる。この神秘的な体験から得られたものを論理的に説明することが、困難だとしても・・・。
このような彼の考え方は、デカルト的コギトの上をいく。バタイユは科学を冷静な目でみており、科学的真理を容認し、この真理の応用に慎重な態度で接している彼の逆説的哲学は、非合理主義と結び付いているが故に、バタイユには反科学主義者の嫌いがあるが、このような認識は誤りである。彼は科学を全面的に否定しているのではない。その証拠に、バタイユは自然科学の知識を自己の言説に多く活用している。例えば、『クリティク』誌1947年4月号(第11号)に載せられた彼の論文「性とはなにか」(A.C.2,p.327-p.344)などが挙げられるし、彼の著書『呪われた部分』は、ジョルジュ・アンブロジーノに負うところの多いものになっていると、バタイユ自信も言っている(P.M.,p.18)。
バタイユの「知識」観に神秘主義のレッテルをはり、彼を酷使した人がいる。ジャン・ポール・サルトルがその人である。サルトルは1943年の「カイエ・デュ・シュッド」誌260-262号に『新しい神秘家』というタイトルで評論を書き、バタイユの非合理主義的な面を暴露している。しかしバタイユが批判するように、サルトルの考え方は非難されるべきものであろう。
バタイユのサルトルに対する批判とは、「私」と「世界」との関係によって作られる絶望感、という感情において、「サルトルのような人はこんな気分にはまず陥らない」ということである。またバタイユは、「何も知らないのなら、知らないと一度言えばそれでたくさんだ」というサルトルの考えに対し、「鍵をかけたトランクの中に何があるか知らない、その鍵を開けることもできない者の立場、と言いましょうか。必要上言わねばならぬこと以上のものが込められた文学的言語が用いられるのはこのときです」(N.S.,p.16)と言及している。
バタイユの死後、ガリマール社から彼の全集が刊行された。その第一巻の序文の中で、ミシェル・フーコーはバタイユのことを「今日、今世紀で最も重要な著作家の一人である(On le sait aujourd´hui: Bataille est un des crivains les plus importants de son si cle.)」と表している。
フーコーやジャック・デリダ、ボードリヤール等がバタイユを評価したことにより、フランスでは、バタイユの作品は一時期バイブルのように読まれたそうである。生前には非合法な形でしか出版されず、ほんの一部の人しか手にすることのできなかった彼の作品の一部も、ガリマール社のおかげで多くの人に読まれるようになった。日本でもバタイユの作品は翻訳されてはいるものの、彼に共感をもっているひとは、ほとんどが文学畑の人たちである(もっとも、彼らがバタイユの思想を正確に理解していると思えない)。このことは、職業的学者ではない彼の身分と、彼の作品の多くがタブーを対象にしたものであり、かつ難解でもあることが、その原因であると思われる。しかし、彼は図書館司書という身分を利用して、多くの発禁本や図画を目にしている。このことから導き出されたバタイユの思想は、多くの人が未だ触れずにいることを体験させてくれる新しい思考法を生み出している。この思考法は人類の可能性をより大きくするために重要なものであり、日本でももっと理解されてもいいのではなかろうか・・・。
バタイユは文学的な表現を学術的な表現よりも価値のあるものと考えていた。そして詩的な表現は、文学的な表現の中でも特に崇高な表現である。またバタイユは言説によってはなにものも正確に表現することはできないと考えていた。それ故に、書くことに罪をおぼえながら筆をとっていたバタイユの作品は、難解と言われる。しかしバタイユのそのような作品も、言語を理解することに罪をおぼえながら読んでいけば、彼の思想をありのままに体験することができるのではなかろうか。
バタイユは心の優しく、寛大で、おちゃめな人物であった。これがボクのバタイユ像である。20世紀初期の画家アメディオ・モディリア-ニは、毒のある(diabolique)人物だったと言われているが、実際の彼は心の優しいダンディ-な男であった。バタイユには毒のある人物というイメ-ジがあるが、モディリア-ニと同じことが言えるのではなかろうか。
=註=
※略記号
A.C.2
ジョルジュ・バタイユ著作集 第15巻
「神秘/芸術/科学 -社会科学論集2-」
山本功訳、二見書房、1973
P.M.
『呪われた部分』
生田耕作訳、二見書房、1973
N.S.
『<非-知>閉じざる思考』
西谷修訳、哲学書房、1986